インディアンジュエリーのルーツ


ナバホ族のルーツはアラスカ カナダのアサバスカ族だと言われています。
遊牧民だった彼らは移住を繰り返した末に現在のフォーコナーズあたり
(ユタ、コロラド、アリゾナ、ニューメキシコの4州が従事に交わる場所)

ナバホ族は変化に適応する能力にかけては抜群の部族です。

16世紀末、南米から北上してきたスペイン軍が、現在のニューメキシコ州に領土拡大とキリスト教布教のため攻め入り
スペイン人はナバホ族より以前にフォーコナーズ辺りに住んでいたプエブロ族を容赦なく攻撃し、
村々はスペイン軍の支配下に置かれた奴隷として働かされました。
しかし、ナバホ族は持ち前のしたたかさでこの現状に順応した。

スペイン軍が持ち込んだ鉄、銀製品を巧みに取り入れ、逃げ込んできたプエブロ族から新しい技術を学び、
羊毛で織る毛布、銀細工の技術も、この頃に習得したと言われています。

ナバホ族のアツィディ・サニという男がスペイン軍とともにやってきてメキシコ人の鍛冶屋から銀の使い方を教わったという説もあります。

新しい技術によりナバホは数百年にわたって繁栄してきました。
だが西部開拓時代の1864年、キットカーソン率いるアメリカ軍がナバホを攻撃し、
現在のアリゾナ州北部に暮らしていた8千人以上のナバホ族が領土を奪われ、
数百キロも離れたニューメキシコ州サムナー砦まで徒歩で移動させられました。
砦に収容させられた彼らはここで銅や真鍮や銀を渡され、馬具作りの作業を強制された。
砦の中のインディアンには出来高によって食糧配給チケットを配られたため、
彼らはどんどん金属を打ち、自分の為、家族の為、少しでも多くの食料が欲しいという切実な必要性から彼らは腕を上げていった。

これが、後の銀細工の原点になったのです。

1868年アメリカとの条約を飲んだナバホの人々は合衆国によって割り当てられた保留地に住むという条件で解放された。
保留地とはアメリカ合衆国の支配が及ばないインディアンの為の特別な領土で、
彼らはここで独自の文化、信仰、法律を守りながら暮らす事が出来た。
彼らはこの保留地で、荒れ果てた農地を耕し、家畜を取り戻し、位置から暮らしを立て直しながら
砦で覚えた銀細工の技術を引き続き上達させていった。

シルバーにターコイズが組み合わされ、現在のようなインディアンジュエリーが生まれたのは、これより10年ほど後になる。